【特別対談】カヤック阿部晶人×UD川口竜広 リブランディングによる “under design”誕生の軌跡 -前編-

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Special Interview

創業70年老舗企業リブランディングの挑戦 -前編-

 

2018年10月1日、アンダーデザイン株式会社は誕生した。
平成も終わりが見えた時代の転換期、社長である川口竜広はリブランディングを決意する。戦後、昭和の復興期に旭電気として創業し、平成とともに旭コムテクへと社名を変え、子会社となるアイネットテクノを創設し更なる成長を遂げてきた同社がなぜ再びアンダーデザインへと社名を変更したのか。
2017年秋から1年をかけ、綿密にかつ大胆に実行されたリブランディングプロジェクト。社長の川口とともにクリエイティブディレクターとしてプロジェクトに参加し、リブランディングの中心的な役割を果たしたカヤック阿部氏、川口と同級生でもある二人がアンダーデザインが誕生するまでの1年を振り返る、対談の模様をお送りします。

 


社長に就任したときから決めていた

 

―まず川口さんにお聞きしたいのですが、どうしてこの時期にリブランディングを決意されたのですか?

川口:2012年に旭コムテクグループの社長に就任したときからリブランディングをすることは決めていました。ただ、これまで当社を作り上げてきた文化や歴史を無視して一気に変えてしまうことは危険だし、してはいけないことだと思っていました。ですから、まずは社内の組織改革や制度改革など内向きの改革を優先してきました。そして2度目の中期経営計画を作った際、この計画を無事に終えて次はリブランディングしようと思っていたのです。

 

―なるほど。では、リブランディングのメンバーとして阿部さんを選ばれたのはどうしてですか?

川口:これはもう偶然が生んだ奇跡というか。阿部さんは中学の同級生ですが、当時は同じクラスでもなかったし、特に話したことはなかったんです。

阿部:たまたま同級生が集まった飲み会で一緒だったんだよね。大阪の中学時代の同級生何人かが30年たって東京で再会した。

川口:そうそう。確か2017年の3月だったと思うんだけど。久しぶりに再会したとき阿部さんが電通や他の会社で広告の仕事をしていたことを知って、直感的に当社のリブランディングを一緒にできるんじゃないかと思った。これまで友達と仕事をするのは頑なに避けていたんだけどね。

 

―避けていた理由は何かあったのですか?

川口:友達と仕事をするとだいたい途中で友人関係が崩れるでしょ(笑)。だから仕事と割り切れる関係性が良いと思っていました。でも、今回は一生に一回しかしない特別なこと。この人とやって失敗したらあきらめがつく、と思える人としかやりたくなかった。それくらい腹をくくっていましたし、同じくらい本気で取り組んでくれる人を探していました。だったら昔を知っている友達の方がいいかなと。阿部さんは親しくはなかったけれど中学で生徒会長だった印象が強くあって、再会したとき当時と変わらない安定感みたいなものがあったんです。

阿部:飲み会で会ったときも、リブランディングをしたいって言っていたよね。当時はプロジェクトがスタートする半年以上も前だったけど、ずっと考えていたの?

川口:2度目の中期経営計画の最終年度にあたる2017年の10月から開始しようと思っていたから、その前からずっとアンテナは張っていたよ。これまでは自社内で改革を進めていたけどリブランディングはこれまで以上に大きな取り組みになるから外部の力を借りようと思っていたし。ただ、その時は阿部さんが別の会社にいて頼むのは難しそうだったんだよね。

阿部:当時はイベント会社にいて今とは別の仕事をしていたからね。その会社のままだったら受けられなかったけど、たまたまその年の9月にカヤックに転職した。

川口:阿部さんのSNSでカヤックに移ったことを知って「俺、持ってる!」ってすぐメッセージ送った。カヤックはWebサイトや社長が発信しているのを見ていて面白そうな会社だなって思っていたんだ。それにしても転職してすぐによく引き受けてくれたね。

阿部:カヤックは面白法人というだけあって個性豊かなメンバーも多いしブレストの文化がある。皆で知恵を絞ってブランディングしたら良いものができるんじゃないかと思ったし、自分もやりたいと思ったから引き受けたよ。

いよいよプロジェクトが稼働する

 

―お二人の出会いは偶然が生んだものだったのですね。では実際にリブランディングプロジェクトが始まってどのように進めていかれたのですか。

阿部:まずはワークショップから始めました。具体的には社員の方たちに業務内容をヒアリングしたり、選抜メンバーに集まっていただいてグループワークをしました。クリエイティブディレクターとアートディレクターで構成している私たちカヤック側が当時の旭コムテクグループの現状や強みを知る必要がありましたし、参加していただいた社員の方たちにも新社名を考えていただいたり、リブランディングへのコミット感を醸成したいと思っていました。

川口:社内メンバーはだいたい40代の課長に本社だけでなく支店からも参加してもらったかな。

 

―ヒアリングやグループワークをしてみて社員の方の印象はいかがでしたか?

阿部:みなさんとても協力的でやりやすかったです。企業のインフラを支えている会社ということもあって、堅実で真面目な方が多いという印象でした。でも、新社名を考えたりワークは楽しんでやってくれていたと思います。

川口:社名を考えてもらったときに、カメレオンのように変化していきたいから“アサレオン”とか色々な案が出てきて面白かったね。みんな一生懸命考えてくれたけど、あの時「社名を考えるって難しいんだな、クリエイティブな仕事をする人ってすごいんだな」と感じたと思うよ。

阿部:旭コムテクの「旭」に関連している社名案が多かったね。 そこでも歴史の重みを感じられたような気がする。

川口:想像していたより社名に愛着がある社員が多いなという驚きがあって、あの時これまで以上にリブランディングはしっかり考えて実行しようと決意したよ。

 

―ヒアリングを終えられて次のステップはどのようなものでしたか?

阿部:ヒアリングで得られたベースをもとに川口さんに5年後、10年後どんな会社にしていきたいか、新たな事業展開があるとすればどのようなものか、ということを考えてもらう段階に入りました。

川口:ここが長かったね。時代とともに当社が変わっていく必要があるのは間違いない、ただ変わるにしてもどの方向に進むべきか。70年を目前に控えて守破離の「破」の段階だと考えてはいたけれど、色々な思いが行ったり来たり何往復もしていた。プロジェクトに参加していた社員から、進んでいかないことへの焦りもでてきた時期だったと思う。

阿部:この部分だけで2〜3ヶ月は要したんじゃないかな。それ以降も具体的に色々なことが決まっていく中でずっとブラッシュアップを続けていたし。

迷いながらも考え進み続ける

 

―社員からは焦りの声もあったということですが、阿部さんはどう思われていましたか?

阿部:この時期はブランドプロポジションといって顧客への提供価値、企業の存在価値を再定義をしていくプロセスでした。新社名やロゴは、このブランドプロポジションが定まってこないと検討できないものです。もちろんスケジュール的なことはありましたが、安易に進めていくよりも川口さんが経営者として悩みながら、会社の将来を考えている時間は今後リブランディングを進めていく上でも重要だと考えていました。

川口:いつもこちらに寄り添ってくれてありがたかったよ。

阿部:川口さんが良く言っていた守破離という言葉、私は長年剣道をやっているからなじみ深かった。旭コムテクは70年という会社としての蓄積である「守」がある。しっかりと型があるからこそ「型破り」ができるのであって、型がないのは「かたなし」だからね。けれど、長年培った型を破って進んでいくのは本当に勇気がいることだったと思う。

 

―「破」を進めていくのに、何かきっかけになったことはありましたか?

川口:ひたすら考え続けてアンテナを張っていたら、阿部さんの時と同じように奇跡的な出会いがありました。年が明けて友人のコンサル経験者がメンバーとして本格的にプロジェクトに加入してくれることになったんです。

阿部:大きかったね。これまで悩んでいた事業面も進んでいったし。

川口:新事業の構想を一緒にブレストできる相手ができて思考のスピードが上がった。ちょうどその時期に新社名やロゴの案もでてきて、事業の具体化とブランディング、両輪で前進できるようになった。

 

―なるほど。では社名やロゴはどの段階で決まったのですか?

阿部:2月にまず社名の候補をいくつか出しました。たしか最初の社名提案はレンタルスペースの着物がある座敷だったよね(笑)

川口:なんだったんだろうね、あそこは(笑)京都だったよね。でも場所のインパクトよりも、社名案を見たときの衝撃の方が大きかったよ。社名を書いた紙を置いていってくれたんだけど1枚目みたときに「いよいよこの時がきた!」ってね。1つずつ社名が意味するストーリーを説明してくれて、ずらっと並んだのを見て鳥肌がたった。

 

阿部:あそこで紹介した以外にもアートディレクターとコピーライターが考えてくれた百以上の案があったんだけど、かなり厳選して持って行った。

川口:ロゴの時もそうだったけど、どれも良すぎて選べないって思うくらいだった。一度持ち帰って検討、後日集まって話し合い、何度か寝かせて決めたという感じだったね。

 

社名とロゴに込められた深い思い

 

―アンダーデザインにされた決め手は何でしたか?

川口:やはり意味ですね。我々が長年続けてきた企業のインフラを支える、という表にはでないけれど大事な仕事。それをアンダーで表現し、かつこれから力をいれていくワーク&アートスペース事業などもデザインで表されている。新旧がうまく取り入れられた社名だと感じました。

阿部:デザインは新しい要素だけではなく、これまでの旭コムテクでもやっていると感じていました。大阪オフィスを見学したとき、倉庫を改装したプレミアムサービスセンターでサーバールームを拝見したのですが、機器の配置1つ、配線1本、すべてが綺麗でデザインされていると感じたんです。社員の方たちは気づいていなかったかもしれませんが「みなさんがしている仕事は既にデザインでもあるんです」ということを伝えたかった。そういう意味も込められた社名です。

川口:あのプレミアムサービスセンターはGood Design賞を受賞したしね。当社の仕事がデザイン的にも認められて賞を取れたことが嬉しかったし、頑張ってくれている社員にも誇りをもってもらえたらと思ったよ。

 

―いくつもの意味がある社名なのですね。では、スタイリッシュな印象のあるロゴはいかがですか?

川口:これも沢山案を出してもらいました。社名と同じくどれもストーリーがあって迷いましたが、デザイン的には一番シンプルなものを選んだ気がします。70年の歴史や、電話工事などの配線、積み上げてきた実績、サービスの段階、underのUなどシンプルだけど深い。洗練された印象があってとても気にいっています。

UnderDesingのロゴの設計 UnderDesingのロゴ

阿部:川口さんはモグラをあしらったロゴも気にいっていたよね?

川口:あのモグラ、いつか使いたい!可愛かったし、モグラは土竜って書くんだよね。自分の名前も入ってるし(笑)

 

―ところでこの写真の場所はどこですか?

阿部:着物があるのは京都のレンタルスペース、それ以降の写真はBamba hotelですね。古民家を改装したホテルで毎月メンバー合宿をしていたんです。

川口:最初は大阪や横浜を行き来して打合せをしていたのですが時間が限られるため、もどかしく感じていました。だから毎月、東京で集まって合宿をすることにしたんです。時間を気にせずにブレストできて、食事はUber Eatsで取り寄せて食べながら夜中まで打合せ。翌日も午前中ずっとブレストが続けられて有効に時間が使えました。

阿部:会議室で話をするよりリラックスできたし、膝を突き合わせてじっくり話せる環境だったから色々なことが決まったね。

川口:一緒にいる時間も長かったから同じ釜の飯を食った仲間っていう一体感もできたと思う。新社名もロゴも決定したのはBamba合宿だし"仕事環境"や"活性化"という新たなフィロソフィーのキーワードもこのプロジェクトを通して自分たちが体感したことで生まれたもの。あとは、東京で合宿することでプロジェクトメンバーが増えても打合せしやすかった。そして、あそこで「阿部さん寝ない説」が出たね。

阿部:少しは寝たよ。でも7回合宿して布団でちゃんと寝たのは3回かな。メンバーから「寝る前に見たPCしてる阿部さんと、朝起きて見た阿部さんの姿が全く同じです」って言われてた(笑)。

川口:(笑)


前編ではプロジェクト誕生から社名決定までをお届けしました。

カヤック阿部晶人×UD川口竜広 リブランディングによる “under design”誕生の軌跡 -後編-

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