News

【特別対談】カヤック阿部晶人×UD川口竜広 リブランディングによる ”under design”誕生の軌跡 -後編-

Special Interview

創業70年老舗企業リブランディングの挑戦 -後編-

創業70年老舗企業リブランディングの挑戦

会社名とロゴが決まりプロジェクトは中盤に差しかかる。新たなビジョンやクレド、新規事業など具体的な検討に入り、リブランディングプロジェクトを中心にいくつもの派生プロジェクトが動き出す。紆余曲折を経ながらもいくつもの出会いと才能に恵まれ、それぞれのパーツが躍動し重なり合い、シナジーを生んでいく。通信ネットワーク設備や電話工事を得意としてきた同社のリブランディングプロジェクトに携わったカヤック・クリエイティブディレクター阿部氏。代表川口との対談の後編では、アンダーデザインの全体像が形作られていく様子をお届けします。


わからないことは学ぶ、そのスタンスは昔から変わらない

―川口さんにお聞きします。今回いくつかの新規事業を立ち上げられましたね。どのようなプロセスで進められたのですか?

川口:はい、複数立ち上げました。私はミシガン大学のMBAで経営学を学んでいたものの、事業をつくるということは初めての経験でした。ですから、まずは新規事業に必要な発想、既存事業を維持しつつ新たな事業を起こすということについて色々な方から意見をもらい学ぶことから始めました。

―学ぶところから、というのは意外でした。意見をいただいた方々というのはどのような方だったのですか?

川口:個人名は差し控えますが、世界のトップコンサルタントと言われるような方にお話を聞いていただきました。事業案を資料にまとめて持参し、見てもらったその場で意見をもらう。1時間ほど、2回程度でしたが新規事業の発想や基本的な考え方など骨子となる大きな学びがありました。他にも事業転換した企業のコンサルをされた方に話を聞いたり、Tec業界の最新情報を得るためにアメリカ・オースティンのSXSW(サウスバイサウスウエスト)にも行きました。確か、SXSWは阿部さんに教えてもらったよね。

阿部:そうだったね。打合せで「サウスバイに行ってみてもいいんじゃない。情報だけでなく人とも出会えるよ」って。でも、その場で日程を調べたら2週間後だったから「直近すぎて無理だね」ってなったよね。それが数日後「行くことにした」って連絡がきた。驚いたけど、その行動力さすがと思ったよ。

川口: 2週間後に行けなければ1年後、それでは遅いと思ったんだ。会議や予定の調整が必要で、あの場では決められなかったけど阿部さんの話を聞いて行くしかないと思っていた。

阿部:俺も行きたかったな…。

川口:相当行きたそうだったね(笑)。「これでバッチリ、SXSW直前対策講座」って資料を作ってプレゼンしてくれた。実際行って色んな人と出会えたしね。年明けから沢山の人と会い、情報を吸収したことで会社合併の動きとともに怒涛の派生プロジェクトにつながっていった感じがするよ。

これでバッチリ、SXSW直前対策講座

学びは実践してこそ活きるもの

―派生プロジェクトとはどのようなものがあったのですか?

川口:いくつあっただろう…というくらいありました。会社合併や社名変更手続き以外にも名古屋移転のオフィス設計、導入するアート、LAオフィス開設、社内のシステム入れ替え、それ以外の各新事業プロジェクトなど色々ありました。

―かなり多いですね。

川口:普通なら社内システムを入れ替えるとかオフィスを移転するとか、1つだけでも大ごとですが、それらをすべて並行して行いました。分刻みの打合せの合間で頭を切り替え、前に進めていくことが必要でした。

阿部:川口さんは本当に細かなところまでこだわっていたから、リブランディングの言葉まわり、新組織の部署名、Webサイトのデザインなども一度で決まるということはまずなかった。名古屋オフィスに置く什器や小物類、名刺などの内容まで全部に目を通していたよね。まさにクレドにあるDesign Everythingだった。必要なこととはいえ全てのプロジェクトをそのクオリティでやるのは、相当大変だったんじゃない?

川口:自分より社員が大変だったんじゃないかな(笑)。新社名を社員に発表したのも8月18日だったし、10月の社名変更まで1か月少ししかない中でみんなには苦労をかけたけど、本当に良くやってくれたよ。

歴史に感謝し、未来だけをみて進む

―1か月余りとは、短いですね。何か理由があったのですか?

川口:アンダーデザインという社名や新たな方向性を一貫したストーリーとして伝える必要があると思っていました。社名自体は春に決まっていましたが、フィロソフィーやクレドなどは発表直前まで微調整を重ねていました。

―一貫したストーリーとは?

川口:「旭コムテクから“アンダーデザイン”に変わります。フィロソフィーが“あらゆる企業を挑戦のステージへ”、大事な考え方がクレドで“Unlock Freedom、Design Everything、Update Myself”になります。」と言われても「ふ~ん」となるだけですよね。だから、どうしてそうなったのか、なぜそれが大事なのかを説明したかったんです。

阿部:例えばクレドにあるUnlock Freedomには「私たちは古い働き方にとらわれることなく、自ら考えて自由に働きます。 ただし、自由には責任が伴っていることを理解しています 」という注釈がついています。「ただし、自由には責任が~」の部分を入れるか、入れるとしてもどの言葉を使うか、社員も含めたプロジェクトメンバーで延々と議論しました。この部分1つとっても川口さんが目指す会社像・社員像が表現されている。こういう細かな調整を丁寧に積み重ねていきました。

川口:1つ1つ考え抜いたし、すべてつながっている。次の時代へステップするための変化だということを流れで伝えたかった。それが長年旭コムテクや子会社のアイネットテクノという会社名に愛着を持ってくれていた社員への礼儀だと思っていました。

―なるほど。ではストーリーができていよいよ新社名を発表、というときはいかがでしたか?

川口:会社行事で全社員の前で発表したのですが、その瞬間はこれまでの人生で味わったことがないほどの緊張でした。

阿部:次のスライドが新社名っていうところで「じゃ、行きます!いや、もうちょっと待とうかな…」って焦らしていたよね(笑)

川口:勇気が必要だったんだよ!(笑)

―社員のみなさんの反応はいかがでしたか?

川口:好評でした、若手の社員は特に。もちろん全社員が同じ気持ちではなかったとは思いますが。その日は阿部さんやアートディレクターにも参加してもらい、私の説明を補足してもらいました。新しく開設したLAオフィスからも中継したり、若手にUDオリジナルのロゴ入りTシャツやワークスーツの試作品を着てもらったりして、社員は驚くことばかりだったと思います。

社員発表8月-コピー

若手

―そうだったのですね。今回LAオフィスを開設されたとお聞きしました。

川口:はい、新規事業の開発拠点にしています。今は現地にいなくてもオンラインで気軽にミーティングができる時代です。事業をつくるプロセスをLAのパートナーたちと日本のメンバーでプロジェクトを組んで進めています。当社のWebサイトの写真もLAのものが多く使われているんですよ。

阿部:まさかこのプロジェクトメンバーでLAに行くとは思わなかったな。

川口:行ったね!Webサイト用の撮影。阿部さんは2泊だけの弾丸なのにソウル市内で金浦空港と仁川空港を移動する聞いたことのないトランジットでやってきて着いたときクタクタだったね(笑)

阿部:あのトランジットはもう2度としたくないな(笑)。でも、必要だから行ったんだよ。Web用の素材をどうしようかとアートディレクターと考えていたときだったし、LA素材はキラーコンテンツになると思ったんだ。

川口:サイトで使われてるのみるとわかるね。何度も場所を変えて撮影した甲斐があった。Airbnbで広い一軒家を借りたから毎月東京でやっていた合宿のLA版だったね。撮影が終わっても打合せ、食事の間もずっと仕事の話、みんな本当にプロフェッショナルだと思ったよ。新規事業に協力してくれる人たちとも毎日会って時間を目いっぱい使った。せっかくだからみんなでエンゼルスの観戦でもしたかったけどね。

7月10日LA

7月10日LA

阿部:スケジュールも詰まっていたし、暑くてハードだった。撮影は川口さんがふざけていた時間がなかったらもう少し早く終わったけどね(笑)

川口:LAの街中でいきなりカッコつけるなんて無理だったわ(笑)

LAの街中でいきなりカッコつけるなんて無理

いくつもの出会いが共鳴しシナジーを生む

―サイトの中で川口さんが写っていた場所はLAだったのですね。そして、新規事業の開発拠点とは驚きました。

川口:もともとMBA時代の友人がLAにいて協力してくれたことから始まっていますが、多くの出会いに恵まれて新規事業開発が進んでいます。人との出会いは、リブランディングプロジェクト全体に言えることですね。こういうことをしたい、こういう人と会いたいと言ったら阿部さんたちがカヤック社内や知人をあたってくれて「こんな人いるけどどう?」って言ってくれる。そして、出会った方々はみんな驚くほど感覚もフィットして協力してくれるんです。自分でも「どうしてなんだろう」と不思議に思うくらいですが、とても感謝しています。

―川口さんは不思議と言われていますが、阿部さんはどうしてみなさんが協力的なのだと思われますか?

阿部:そうですね…それぞれに理由があるとは思いますが一つ共通するものがあるとすれば、川口さんの本気が伝わっているのだと思います。うわべではない熱意や覚悟に惹かれて、自分にできることならば協力したい、と思うのではないでしょうか。

熱意や覚悟に惹かれて、自分にできることならば協力したい

―本気!それを感じたエピソードはありますか?

阿部:普通に話をしていても信念を貫く強さがあるのはわかると思いますが、わかりやすいエピソードでいうと会社合併が終わるまで禁酒されたことでしょうか。

川口:2017年の正月を実家で過ごしていて、23時59分まで飲み続けて2018年になった0時の瞬間にコップを置いたからね。そこから、阿部さんたちとの打ち上げで解禁した11月1日まで会食もすべてノンアルコール、一滴も飲まなかった。

―それは凄いですね。お酒を断った理由は何だったのですか?

川口:毎日飲むくらい好きなものを断つという願掛けの意味もありますが、1日24時間を深く思考できる状態にしておきたかったというのが一番の理由です。

阿部:飲みたくならなかった?

川口:なったよ(笑)。でも、新会社設立までは限られた時間だし、アルコールで集中力に欠けた脳で毎晩を過ごすのはもったいないと思ったんだ。そういう意味では、リブランディングPJは毎月の合宿でも飲まずにいてくれたね。だからこそ、解禁するときはこのメンバーでと思っていたよ。

―解禁はメンバーと一緒にされたのですね。久々のお酒の味はいかがでしたか?

川口:打合せの都合で鎌倉だったのですが、わざわざ来てくれたメンバーもいてありがたかったです。お酒を味わいながらみんなでプロジェクトを振り返って話す時間は格別で、1年以上続いた緊張がほぐれた瞬間でもありました。もちろん、リブランディングプロジェクトとしてひと段落なだけで新会社の文化を浸透させていったり、既存と新規の両事業をうまく組み合わせて事業を伸ばしていくのはこれからが本番なのですが。

大事なのはいつも信念

―これからが本番、楽しみです。では、最後にリブランディングプロジェクトを振り返って一言ずつお願いします。

川口:出会いに恵まれ奇跡が重なって、社員も頑張ってくれたからこそ、やり遂げられたことだと思っています。これからも信念をもってアンダーデザインを大事に育てていきたいですね。

阿部:ブランドが育つまでには時間がかかります。プロジェクトとしては終わるけれど、自分が関わったブランドは子供のようなもの。これからも見守っているし丁寧に育てていって欲しいと願っています。

―ありがとうございました。

鎌倉

シール


阿部晶人

阿部 晶人(あべ あきひと)

面白法人カヤック クリエイティブ・ディレクター

電通にてCMプランナー兼コピーライターとしてキャリアをスタート。のちにデジタル局を兼務し、トヨタなどの大規模なオンラインキャンペーンの企画を担当。
外資系広告代理店オグルヴィなどを経て、現在鎌倉を拠点とする面白法人カヤックのクリエイティブ・ディレクター。アナログからデジタル、リアルイベントまで、メディアの境界なく自在にコミュニケーションをデザインすることを得意とする。カンヌ、クリオ、グッドデザイン賞など国内外の受賞歴、審査員歴多数。仕事とは別に、全日本剣道連盟の情報小委員会委員長として、世界へ向けた剣道の情報発信を先導する。武道の理論を応用した「やわらかく、あたたかく、ちょうど良く」が信条。趣味は料理。


川口竜広

川口 竜広(かわぐち たつひろ)

アンダーデザイン株式会社 代表取締役社長

大手通信建設会社の技術者としてキャリアをスタート。続く独立系大手IT商社では営業として複数の大規模ネットワークシステムの提案・販売等に関わる。その後、経営学を学ぶため米国ミシガン大学大学院に留学し2007年にMBA(経営学修士号)取得。 帰国後、旭コムテク経営企画室を経て2010年に旭コムテクの子会社であるアイネットテクノ社長に就任、2012年からは旭コムテクグループ社長に就任する。同社の改革の中で2018年にグループを合併、リブランディングしアンダーデザインへと社名変更、新ビジョンを発表する。デザインやアートへの興味から自ら同社オフィスのコンセプトをディレクションし、倉庫を改装したプレミアムサービスセンターがGood design賞を受賞。現在はロサンゼルスや中目黒にオフィスを開設しワーク&アートスペース事業など新規事業の展開を進めている。


カヤック阿部晶人×UD川口竜広 リブランディングによる “under design”誕生の軌跡 -前編-

https://underdesign.co.jp/archives/news/535

back